代打の雑記 サクラサク 開花、いよいよ。

ポップコーンの実がフライパンで熱されて
も、もう我慢できない!
ば・く・は・つ・す・る・ー

といった喩えがちょうどいい感じかなー
ああ、、、ポップコーン食いてぇ

こんにちは
花よりポップコーン派、代打です


多賀大社の枝垂れ桜(4/1)

何故か開花宣言がない滋賀県ですが
今週末、滋賀県東近江市は
五分咲き、七分咲きといったところかな?
ようやく桜花を謳歌できるな

四季を味わうことができる日本
その中でも、この「桜の開花」という現象は、何か特別なものを感じざるを得ません。咲いてから散るまでのせいぜい1週間ほどに、人はその儚さに心を打たれているのかもしませんね。
ところが、夏の風物詩であるセミ。
こいつらは幼虫期3~10年で、外界に出て1ヶ月程度で命尽きる、とこれまた成虫短命で儚いはずなんですが、五月蝿いとか気持ち悪いとかでやや嫌われがちです。カワイソス

命燃え尽きる的な要素には儚さがあるものの、万人が素晴らしいと思うようなものは、少ないよねぇ。毎年決まった時期に同じ現象が起こる、という条件を付け加えると、そうそうお目にかかれるものではないんじゃない。そんな貴重な体験を、待てば春の訪れを感じることができると知っている我々は、今か今かと待つのみです。これが四季を感じるということなのでしょうか。

春というのは、厳しい冬を越えてきた人々の謳歌があります。暖房器具もなく、家屋も隙間だらけだった時代において、越冬というのは、動植物と同じく厳しい期間であったに違いありません。そんな状況ですから、春の訪れが確認できる桜という存在は、人の心への影響は特別なものがあったことでしょう。

短歌や和歌などにも、そういった「桜」が記された歌も数多く、半分ぐらいは恋歌ですけど、中には「花見にと 群れつつ人の 来るのみぞ あたら桜の とがにはありける」(西行)という具合に、なんかこう、平安時代でもみな桜をみに歩いてて鬱陶しがられている歌があるところをみると、今とあんまり変わんねーな、とか思ったり(笑

さて、見頃は各地でそれぞれですが
皆さんはどこかへお花見に行かれますか?
僕は、近場のスポットで
のほほんと過ごす週末を送りたいなぁ

春の訪れを楽しんでよい週末を

では

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